あたりまえ という薄め水

そろそろ蝉たちが地上にでるタイミングを
耳を澄まして待っている頃でしょうか。

totonaです。

子供の頃、学生の頃

”ほっておいてほしい”

なんて思いながらも、気づかへんかったけど
周りの大人たちに守られながら、日々を過ごしていたんやね。

すべての体験が初めてだらけで わからへんことも多くて

”今、この瞬間にさえ たくさんの初めてが待ってる♪”

なんて無意識レベルで感じてたと思う。

少しづつ、年齢を重ねていって
いつの間にか、大人という仲間に入ってた。

子供の頃の私は、大人という人たちの言うことに聞く耳を持ってなかった。
みんな、おんなじことを言って、無難なことを言って
世間一般のルールに閉じ込めようとしてるように感じてた。

「自分の言葉で、自分の想いを話してる大人がいない!」

そう感じて不思議で仕方がない、幼い自分がいた。

今、大人の仲間になってみると、
そのルールという枠に入れようとするのも愛情だと思う。

子供たちのためだけじゃなくて
私たち大人の安心感のための自己愛でもあるように思う。

”赤信号みんなで渡ればこわくない”

かな?そんな言葉もあったけど、

みんなが同じことをしてるから安心ではなくて

”信号がない場所でも自分で決めて渡ればいい
 本当に危険やったら、大人たちが必ず守ってあげるよ”

そんな世の中になれば、子供も大人も
みんなが苦しまなくていいのにね。
そんな気がするのです。

人はそれぞれに、大人になっても幾つになっても 
本当は個性的で素敵やのに、ほんまの自分を
心の隅に隠して、心の奥にしまって、心を閉じて
そのうちに忘れてしまったらもったいない
そんな気もするのです。

大人の仲間になって気づいたこと。
今日の出来事、今この瞬間のこと いろんなことが

”あたりまえ”

になってしまってる。

今朝、目が覚めたこと。
お水が飲めたこと
お腹が空くこと
買い物に行って、ごはんの支度ができること
夜に眠たくなること

大切な人が今日も元気でいてくれること
そして生きていてくれること

些細なことから、人の命が永遠でないことまで
当たり前をいう薄め水が

”感動”

という感情を、どんどん加速して薄めていってる。

「1度体験したことは、1度目ほど感動しない」

というのも、薄め水を入れてるからやと感じてる。

大人だって、2度目、3度目、3年、10年経っても
感動できる心をしっかり持ってるんやって教えてもらえた。

それは、あえて意識しないとあかんことなんやね。それには

あたりまえ

って思わないって、ものすごく大切やと思う。

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でっかいきゅうりを八百屋さんで見つけた。
どうやって食べようかな~~~。

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