希望の光はどんな時でもある

今年も体に夏を感じますね。

こんばんは。totonaです。

いつの頃からか、いつも自分に言ってることがある。

「失敗くらい、どんどんしたらいい。
 反省なんて、気が済むまでしてもいい。
 それでも、後悔はしたらあかん」

そんな風に想って生きてきたのに後悔してることがある。

”今できないことを数えること”

あの頃、毎日毎日、来る日も来る日も
できなくなってしまったことを数え続けては泣いていた。
あの頃、もう泣くこともできなくなっていた。

できなくなったこと。
100人の人の両手と両足を借りても数え切れない。

そんなことを数えて良いことは、なんにもなかった。
本当に1つも良いことなんてなかった。

そんなことをすることで、微かな希望の光も見えなくなっていった。
「あほなことしてたなぁ」
そう思ってる。

例えば、毛糸を握る左手の感覚が麻痺して、時には震える。
それでも、”左手は存在している。右手も動く!”
そう考えると希望の光が僅かな隙間からやけど真っ直ぐにさしてくる。

例えば、目の焦点が合わなくなった。原因は不明。治療法もない。
それでも、”見える。色別もできる!”
そう考えると、希望の光を体に感じることができる。

希望の光を少しでも見ようとする力が付くと心の持ち方が変わる。
そうすると生き方が変わる。
光は僅かなのに、真っ暗闇を彷徨うのとは全く違う。

そのためには、今できることを数えてみる。

想像以上にたくさんあることに気付かされる。

小さなことでいい。
1つでもいい。いや、1つで十分やと思う。
今できることだけを考えて一生懸命してると
不思議やけど、思ってもなかったことまでできたりする。

思ってもなかった出来事が起きたりする。

「今を生きる」

どこかで聴いた照れくさいようなフレーズが妙に心に馴染む。

誰でも、不安を心に抱えて生きてるよね。
今、起こってることには、立ち向かうしかない。
きっと、立ち向かえることしか、起こらないと感じるようになった。

大人になってくると自分だけじゃなくて、身内や周りの人にも
20歳の頃には想像もしなかったことが起こることもあるよね。
そんなときも、いつだって、どんな時だって、誰にだって
希望の光は注してる。

「絶対そうやねん。」って信じれる。


まだ起こってない未来の不安は希望の光を遮る。

今、この瞬間の積み重ねが、明日、明後日、未来の道を
創っていくんやなぁ。

やっと、そんな風に感じます。

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5年前の今日はたった3分歩くにも、杖を持って人の肩を借りてた。
あの時から、1歩1歩、歩く練習をした。
ふと気づくと結構な距離をコーヒーの入った水筒を持って
お散歩できるようになって、とっても楽しい。


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あたりまえ という薄め水

そろそろ蝉たちが地上にでるタイミングを
耳を澄まして待っている頃でしょうか。

totonaです。

子供の頃、学生の頃

”ほっておいてほしい”

なんて思いながらも、気づかへんかったけど
周りの大人たちに守られながら、日々を過ごしていたんやね。

すべての体験が初めてだらけで わからへんことも多くて

”今、この瞬間にさえ たくさんの初めてが待ってる♪”

なんて無意識レベルで感じてたと思う。

少しづつ、年齢を重ねていって
いつの間にか、大人という仲間に入ってた。

子供の頃の私は、大人という人たちの言うことに聞く耳を持ってなかった。
みんな、おんなじことを言って、無難なことを言って
世間一般のルールに閉じ込めようとしてるように感じてた。

「自分の言葉で、自分の想いを話してる大人がいない!」

そう感じて不思議で仕方がない、幼い自分がいた。

今、大人の仲間になってみると、
そのルールという枠に入れようとするのも愛情だと思う。

子供たちのためだけじゃなくて
私たち大人の安心感のための自己愛でもあるように思う。

”赤信号みんなで渡ればこわくない”

かな?そんな言葉もあったけど、

みんなが同じことをしてるから安心ではなくて

”信号がない場所でも自分で決めて渡ればいい
 本当に危険やったら、大人たちが必ず守ってあげるよ”

そんな世の中になれば、子供も大人も
みんなが苦しまなくていいのにね。
そんな気がするのです。

人はそれぞれに、大人になっても幾つになっても 
本当は個性的で素敵やのに、ほんまの自分を
心の隅に隠して、心の奥にしまって、心を閉じて
そのうちに忘れてしまったらもったいない
そんな気もするのです。

大人の仲間になって気づいたこと。
今日の出来事、今この瞬間のこと いろんなことが

”あたりまえ”

になってしまってる。

今朝、目が覚めたこと。
お水が飲めたこと
お腹が空くこと
買い物に行って、ごはんの支度ができること
夜に眠たくなること

大切な人が今日も元気でいてくれること
そして生きていてくれること

些細なことから、人の命が永遠でないことまで
当たり前をいう薄め水が

”感動”

という感情を、どんどん加速して薄めていってる。

「1度体験したことは、1度目ほど感動しない」

というのも、薄め水を入れてるからやと感じてる。

大人だって、2度目、3度目、3年、10年経っても
感動できる心をしっかり持ってるんやって教えてもらえた。

それは、あえて意識しないとあかんことなんやね。それには

あたりまえ

って思わないって、ものすごく大切やと思う。

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でっかいきゅうりを八百屋さんで見つけた。
どうやって食べようかな~~~。

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