飽きないこと

カラスたちが一斉に
鳴きながら、同じ方向に飛んでいった

どこに帰るやろう?

アジトよりtotonaです

さっき、気がつきました。
私が編み物と出逢ったのは
小学3年生ではなくて2年生だった

棒針の代わりに、菜箸とそのへんの紐で編んでた
かぎ針の代わりに、指で編んでた

あれからから37年 ずっと

「めっちゃ好きやねん」

って想い続けられたのはなんでかな。

どこかで飽きなかったんかな。

ほかのことに目がいかなかったのは
ただただ、自分が不器用やからやなぁ
と思ってた。


毛糸を眺めながら、ふと考えてみた。

 手作りなんて、ださいわぁ
 (そんな時代もありました)

 ひと針つづ編むなんて、おもぉ

 買ったら早いやん
 (確かに)

 なんで、いっつも編み物しとん?
 (理由はないねん。好きやから)


なんで、今も飽きないんやろう?

それはきっと、自分の気持ちが
編み物に対して
変化し続けてるからやと感じました

同じやったら、たぶん飽きる

それは、何に対しても言えるかもしれない
人やものや 行動 習い事 歌 いろい

例えば、歌
何年も聴き続けてる歌詞やのに
ときどき、捉え方が変わったりするから面白い
自分の感性に変化があったからやと思う

少し、ずれるかもしれないけど
よく聞く言葉に

{1度した経験は、最初とおんなじ感動はない}

そうかもしれへんけど、
最初とは違う感じ方はできる

飽きないと慣れないは、少し似てるのかな
アジトから見てる港の景色も
1年が過ぎても、慣れないで毎回感動


好きなことを、
人知れず、やり続けてる人
(言えない時も、あるよね)
たくさん居てると思う

子供の時は好きやねん

で通じてたことも

何故か大人になると、行動に意味がないと
それは無駄なことやと
思ったり、言われたりすることが
あるかもしれへんけど

そこに何か、
意味を見つけなくてもいいと思う。

続けてこそ
発見できたり、感動したり
することもあるんやね。

たまにこんな言葉を聞くことがある。

「好きなことが見つからない」
 
私はこんな風に感じてる。

素の心で

”面白い。楽しい。”

って遊んでた子供の頃にしてたことが

その人自身の好き

を見つけるヒントになるんとちゃうかなぁ

素の心
大きくなると難しいけど
大切なことやから、持ちたい

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半年ほど前にやってきた雑草くん。

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健やかに育ってくれて

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なんと蕾ができて

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こんな花咲いた♪
風車か扇風機の羽みたいで可愛い

totona-mei